ホットアグリのあゆみ20年

ホットアグリの始まり

平成13年春役場より、林りん館の運営を地元でやってもらえないかとの依頼があり、村越光憲(役場職員).小林義宏.村越守二.村越洋太郎.保科忠徳.等で話し合いの結果、地区住民の意向を聞くこととなり、その為の会議を数回重ねる。これがホットアグリの始まりとなった。
平成13年4月27日 発起人会(数回の発起人会を重ねる)
 地域の活性化に向けた行動を起こす必要があるとなり、立屋地区活性化会議を設立してその中で林りん館の運営について検討を進めることとなる。

発起人会

平成13年(2001)5月13日

立屋地区は過疎老齢化が進み、山林から田畑まで荒れてしまう、何とかならないだろうか、この素朴で切実な気持ちから立屋地区活性化会議を立ち上げて、地域の様々な問題について話し合う。
1 役場から依頼がある林りん館の運営について、
2 荒地対策について、
3 山林整備、景観整備をどう進めるか、
4 戸隠旧跡や立屋城址、縄文土器の遺跡、御柱の山等豊かな自然を利用した 癒しの里づくりを進めたい、
5 こうしたことをどう進めるか、その労力はどうするのか、ボランティア活動を取り入れたいが実際にどう取り組むのか等検討する、

平成13年(2001)7月14日

この活動を進めるにあたり、村道16号線沿線立屋・美会地区の範囲にしてはどうかとの意見から立屋・美会に呼びかけて会議を開いた。

平成13年(2001)8月23日

自然保護や環境整備を含めた地域の活性化に向けた活動の必要があるとして、地域の活性化に向けた会議を結成して林りん館の運営を進めることになり、会員(出資者)を10月までに募集することとなる。

平成13年(2001)11月17、23日

15人の出資者が決まりこの会を〔村おこしグループホットアグリ〕と決定、{訪れた人達が里山の美しさ、心地よさにホット、地域住民もホット、そんな心温まる農村(アグリ)をめざす}
 役員、 会長・小林義宏・副会長・寺島千美・会計・小林幸正
     館長・村越守二・料理長・小林豊春・吉沢守・事務局長・村越光憲
     監事・保科忠徳・大日方一智                
 会員、 村越洋太郎.吉沢房斉.保科武義.横川伝治.和田守.鎌倉勝
     表立屋7人、裏立屋6人、美会2人 合計15人

平成13年(2001)11月29日

この日から数回役場との会議を重ねて、林りん館の委託運営を行うことを決定する。H14年4月オープンを目指す。

平成14年(2002)1月~3月

                           
オープンに向けての準備、支障木伐採の為、周囲の木の伐採作業が新聞記事となり、それを見た信州フォレストワークの会員が訪ねて来て、この時からフォレストワークとの交流が始まる。

平成14年(2002)4月21日

オープン式典


林りん館オープン式。
村長他多くの来賓と共に、立屋.美会.塩沢.周辺の住民多数の方にお集まり頂き、公民館の和太鼓演奏により華々しくスタートして近隣の話題となった。

平成14年(2002)6月

林りん館の運営を進めながら、遊休地を利用して大豆栽培を始める。
これは、東京のキゲンバイオという会社との契約で、有機栽培による作付けであり非常に有利な取引となる。ホットアグリの運営に非常に有利となる。
一方、林りん館は、素人集団が始めた運営のため非常に厳しいものとなる。
まずは宣伝に苦労する。そこでまずは知り合いにと、ふる里の会を開催する。
全国に広がっている立屋出身の方々に呼びかけて2泊3日の親睦会を開催、懐かしい人達が久しぶりに会い、昔話に花を咲かせて多い時には50人位が集い盛会でした。これが新聞のニュースとなり一つの宣伝ともなる。

平成15年,16年,17年

さまざまな工夫を凝らして、各種の研修会や講習会、田舎体験の活動などを取り入れ、地元料理.山菜料理でおもてなしを試みましたが、施設の維持費も大きくて厳しい経営となる。

指定管理者を返上

平成18,19年
総会において経営の継続か撤退か集中審議をし、もう少し頑張ることとなる。
1年頑張ってきたが回復は見込めず19年度をもって指定管理者を返上することとした。役場と協議の上20年3月で返上と決定する。
6年という短い期間ではあったが、力を合わせてひとつの仕事に向かう経験は同地域に住む者同士の絆が深まり良い体験となった。
林りん館の運営は撤退したが、大豆栽培他、その他の地域の活性化に向けた活動は今後も続けることになる。

雑穀の里づくリ

平成20年(2008)


アマランサスの栽培を始める。
アマランサスとは南米原産の雑穀で栽培が容易であり栄養豊富、特にアレルギー対応食品として優れているとのことです。また成長すると赤く色づき景観作物としても有望である。
アマランサス ・省力栽培、無農薬栽培が出来る
       ・栄養価が高く、アレルギー対応食品である
       ・鳥獣被害がほとんど無く、景観作物である

平成21年(2009)

アマアランサス醤油


販路の開拓を検討する中で、長野市のふる里回帰運動を進めていた鈴木氏の提案により、アマランサス醤油の製造を進めることになる。
これは今、アレルギーが問題となっている時、アレルギー対応食品に使用する調味料として最も適しているということから製造を考えた。
平成21年4月15日役場にて説明会を開催して全村へ栽培を呼びかけた所、20余名の希望者が集まった。

収穫したアマランサスの販売について

数カ所の雑穀商への販売と村の直売所さんさん市場での小売り販売を始める一方、鈴木氏や当時村職員の古平さんの協力により千葉県のメーカーに委託して醤油の製造を本格的に進める。全国でも珍しい雑穀醤油が注目されて順調なスタートをきった。
ところがアマランサスには甘味成分(旨味)が少なく、その為通常より塩分控えめに作った醤油が逆に塩分多めに感じられて、味覚の点で敬遠されて販売が延びず、味覚の改善をしない心残りのまま撤退をした。アマランサスの栽培を全村に呼びかけた手前、残念です。
協力者には恐縮しております。実に悔いが残ります。

大豆栽培

長野市の西部地域で生産される大豆に西山大豆がある、
ナカセンナリという品種であるが、この地域で生産されたものは土質の影響か極めて上質な大豆だといわれている。
平成14年ホットアグリでは、東京のキゲンバイオという会社と大豆の契約栽培を始めた。
この会社では自社商品の原料である大豆を、信州の環境の良い所で有機栽培をすることにより商品の付加価値を高めることが狙いであり、ホットアグリと好条件で契約栽培を結んだものである。

有機栽培の為農薬は使えないので雑草が多く、30度を超す真夏の炎天下会員全員で草取り作業に汗を流し、又当初は播種、脱穀、選別等の作業を会員の力でやってきたが、最近は農林公社に委託しており、大分楽になっております。
有利な契約栽培の為、収支の状況は良く、会の運営には大変役立っております。

荒廃地対策も兼ねて大豆栽培を続けているが、永年の連作により生産が減少しており、品質も下がり、連作障害をどうするか問題である。
他の作物との輪作や堆肥の投入、深耕等対策を検討している。
雑穀の里づくりを考えたのもその為もあり、ソバ.タカキビ.アマランサス等検討はして見たが労力面、販売面等でなかなか定着していない。会員の更なるお知恵を望む所だ。

令和2年(2020)

復活した神楽


その中で、大豆栽培の収益により、立屋区へ20万円の寄付をすることが出来ました。これは立屋区活性化のため、とくに久しく途絶えていた祭りばやしの復活という話も出てきたので、区の活性化に使用していただく為のものです。
村では大豆栽培が見直されて増産されているようですが、今後は連作障害が大きな問題となってくると思います。